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写真:冬の京都、祇園四条から八坂神社石段下の風景

祇園四条から八坂神社までの短い距離なのに

ちょっと日が差したかと思うと、すぐに時雨れて雨に濡れてしまうというふうに天候がすぐに変わる冬の京都。

実際に歩いてみると、京阪電車の祇園四条駅から八坂神社石段下まで続く八坂神社参道の風景は

以前とあまり変わっていないように思いました。

ただ、そのときにはまだ、京阪の祇園四条という駅名ではなくて四条駅でした。

そしてその上に、京阪電車はまだ地上を走っていた時代です。

そんな時代の風景を思い出しながら四条通を歩くと、南座があるし、

後ろの四条大橋を振返れば、先斗町の「いづもや」さんの建物が見えます。

歌舞伎の元祖と伝わる出雲阿国の銅像が四条大橋の東詰にあります。

四条大橋の東西には、鴨川を挟んで

出雲の名前がつく先斗町の「いづもや」と

歴史の舞台の登場した歌舞伎の祖と呼ばれている出雲の

阿国(いずものおくに)の銅像が建てられています。

この像は、祇園四条から八坂神社まで歩く前に見ておくと、

当時の京都の芸能の位置づけがつかめそうに思います。

出雲の阿国(いずものおくに)

 1603年(慶長八年)、出雲の阿国はこの四条河原町で先鋭的な

伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦後のすさんだ世に

都人を驚かせ絶大な喝采を浴びました。

 歌舞伎の元祖と言われている阿国の出生は不明ですが、

出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、

北野天満宮の常舞台で名声を得て各地を巡業し

その人気が広まりました。

 江戸時代に入り、風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、

男が女形を演じるようになり今日の歌舞伎に発展しました。

 阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、

その墓は、島根県大社町と、京都の大徳寺高桐院にも存在しますが、

伝説の域を出ません。

歌舞伎発祥400年 2003年11月 京都ライオンズクラブ

寄贈 結成30周年記念

南座と祇園花見小路入口と八坂神社石段下

四条通の鴨川の東辺りは、八坂神社参道商店街とも呼ばれます。

その四条通の南座と祇園花見小路から八坂神社石段下までの400mほどの間には、

それほど大きな間口ではありませんが、たくさんのお店が並んでいます。

注意して見たところ、それぞれのお店の内外装は新しくなっていますが、

たぶん、一軒ずつのお店は、親から子供へ、そして孫からまたその子供へと代々引継がれながら、

変わることなくこの場所で商ってきたのだろうと思います。

花見小路が雑踏化しています。

国を挙げてのインバウンドの推進の影響で、昔の祇園の風情が失われてしまったと噂には聞いていましたが、

ここでは特に、アジア系の観光客が溢れて花見小路の静けさが失われている様子でした。

これと言って何かあるわけではないので、身だしなみが整えられていない人たちで花見小路が雑踏化してしまっています。

以前には、この街を歩くと自分の靴音しか聞こえないような静けさがありました。

見えないのだけれど、なんとなくこの街の風情が感じられる伝統的な情景が、今もどこかにきっとみつけられるはずです。

花見小路は用事もないよそ者が歩くところではありませんでした。

ここでは、ほかの街とは違う時間の流れ方が感じられる場所のはずでした。

ちょうど祇園四条の駅から八坂神社の中間を過ぎたあたりにあります。

レトロな建物のレストラン「菊水」の写真を撮り忘れてしまいました。

京都観光の案内などでも有名な、「菊水」のレトロな外観の建物はのすぐ横を通っていたのに、

菊水の建物の手前の横断歩道を渡る途中で、

信号が変わりそうになったので、小走りに渡りきってしまいました。

うまく横断歩道を渡りきれたたことに満足したせいか、

この界隈では、レトロでオシャレな佇まいのレストラン「菊水」の写真をすっかり撮り忘れてしまいました ̄0 ̄)。

「菊水」に代えて、あぶらとり紙で有名な「よーじや」さんの暖簾を撮っておいたので載せました。

それに加えて、一世を風靡した歴史のある 先斗町 「いづもや」さんのTVCM のリンクも貼っておきました。

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