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写真:知恩院の三門は二代将軍徳川秀忠公が寄進建立しました。

知恩院の三門は二代将軍徳川秀忠公が寄進、建立されたものです。

石段を上がってすぐの三門前にある説明には

と説明されています。

そして門の幅は50mあります。

 

そもそも、知恩院と徳川家(松平家)のつながりは、

松平家第4代親忠の子で、第5代松平長親の弟、

超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)(1469-1549)が

知恩院第25世、住持を務めたときにまで遡ります。

時の天皇(後柏原天皇)の命でした。

ちなみに家康(1543-1616)は松平家の第9代です。

江戸に移った家康が増上寺を菩提寺にした理由

江戸に移った家康が増上寺を菩提寺にした理由は、

松平氏出身の超誉存牛が三河の信光明寺で師事した存冏(ぞんげい)の家系が武家の千葉氏でした。

また、存冏は、増上寺住持一世、聖聡(しょうそう)の元で出家しています。

そして存冏は聖聡(しょうそう)とは同族にあたることから

家康の同族の存牛とも繋がりが深いことを思い、

増上寺を江戸での菩提寺としたのではないかと考えられます。

こういった流れを考えると、家康が増上寺を江戸の菩提寺としたのは、

単なる偶然であるようには思えません。

家康が江戸に入った当時の増上寺12世源誉存応(げんよぞんのう)も存牛、存冏との関係や

松平氏と知恩院との繋がりをよく知っていたことから、

家康も心を許し、お互いに心を通わせたのだろうと思います。

 

知恩院三門 https://www.chion-in.or.jp/highlight/building/sanmon.php

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