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柴田勝家生誕の地、下社城跡 @名古屋市

柴田勝家生誕の地、下社城跡。
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写真:行福寺の桜が春の嵐で散ってしまった。@豊田市

行福寺の満開だった桜が風雨で散ってしまい、地面に吹きだまっていたそのままに雨水に流されていました。
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桜の名所 行福寺(ぎょうふくじ)@豊田市

桜の名所行福寺
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ちゃっかり写り込んでいる桃巌寺の大仏様

写り込んだ桃巌寺の大仏様は住宅街のお寺の森の中に鎮座している。織田信行が父信秀の菩提を弔うために建てた寺です。

家康の家臣で小田原城主、老中の大久保忠隣が失脚、幽居の趾。@彦根市

大久保忠隣徳川家康の家臣大久保忠隣(おおくぼただちか)は小田原城主、江戸幕府の老中から失脚した。その大久保忠隣が幽居した場所が彦根市にあります。そこは井伊家の菩提寺、彦根龍潭寺(りょうたんじ)の三門前です。徳川家康の家臣大久保忠隣が老中の失...
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写真:西国三十三番満願霊場谷汲山華厳寺は桜祭りで有名です。@岐阜県揖斐川郡

谷汲山華厳寺は桜祭りで有名です。西国三十三番満願霊場谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)は、その山号と寺号は醍醐天皇より賜っています。華厳寺は桜祭りで有名です。秋には紅葉の名所としても参拝者を集めています。お寺の場所は、根尾川が山から濃尾平...
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写真:根本中堂の葵紋が輝いています。現在の寛永寺の根本中堂は明治になってその威容をつつましく変えても、屋根には葵紋眩しく輝いています。@台東区

根本中堂の葵紋が輝いています。現在の寛永寺の根本中堂は明治になってこれまでの威容をつつましくしました。それでも今も屋根には葵紋が眩しく輝いています。上野寛永寺は天海大僧正により江戸城の鬼門に建てられたお寺です。現在の上野寛永寺の根本中堂は江...
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写真:合格祈願、これ以上落ちない上野合格大仏。上野恩賜公園 上野大仏(釈迦如来)@台東区

合格祈願、これ以上落ちない上野合格大仏。上野恩賜公園 上野大仏(釈迦如来)は寛永8年(1631)に越後国、村上城主であった堀丹後守直寄が戦乱に倒れた敵味方の冥福を祈るために建立しました。幾多の難を乗り越えた 上野大仏この大仏は寛永8年(16...
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上野公園には上野東照宮があります。そして五重塔もあります。@東京都台東区

上野公園に東照宮があります。そして五重塔の向こうの上野動物園の中には藤堂高虎の墓があります。上野動物園は明治15年(1882)に寛永寺の元敷地内にできた施設ですが、藤堂高虎は天海と共に元和2年(1616)に家康の枕元で聞いた遺言を実現するた...
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写真:世界文化遺産の清水寺、その舞台からは雨の愛宕山が見えます。左の天王山でも降っているようだからやがて雨がやってくるはず。@京都市

世界文化遺産の清水寺の舞台の様子清水寺舞台茶碗坂最後の上り坂と階段世界文化遺産の清水寺の舞台から雨の愛宕山が見えます。少し南の天王山も降っているようです。すぐに東山のここにも雨がやってくるはずです。急いで東山通りまで下りておかないと雨に降ら...
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写真:東京の上野恩賜公園は幕末の上野戦争で寛永寺の伽藍の多くが失われるまでは、そのほとんどが寛永寺の敷地でした。

東京の上野恩賜公園は幕末の上野戦争で寛永寺の伽藍の多くが失われました。それまでは、ここはそのほとんどが寛永寺の敷地でした。東京都の公園を管轄する東京都建設局は上野恩賜公園が出耒田経緯を説明しています。寛永寺から東京都のものになった経緯をわか...
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清水寺を寛永寺に再現。広重も描いた印象的な月の松がある清水観音堂と広重も描いた月の松@東京都台東区

清水寺を寛永寺に再現。広重も描いた印象的な月の松がある上野の寛永寺。清水観音堂と広重も描いた月の松.清水寺を寛永寺に再現した清水観音堂は国指定需要文化財です。広重も描いた印象的な月の松でしたが、一度は失われてしまいましたが現代の庭師の力で甦...
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浜名湖の北にある龍潭寺は井伊家の菩提寺です。浜松城と並んで浜松屈指の観光スポットです。@浜松市

井伊家の菩提寺龍潭寺は浜名湖の北にあります。小堀遠州の美しい庭が特に有名です。ドラマにもなった女城主直虎が井伊谷城を出て母の元に移り住んだと伝わる松岳院跡もあります。今では浜松城と並んで浜松屈指の観光スポットです。井伊家・宗良親王 菩提寺萬...
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写真:徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力を持った春日局。彼女の念持仏が大樹寺に安置されています。@岡崎市

春日局の念持仏が徳川家の菩提寺の大樹寺にあります。徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力のあった春日局(かすがのつぼね)。その彼女が毎日手を合わせて拝んでいた念持仏(ねんじぶつ)があります。それが愛知県岡崎市の大樹寺に客仏として安置さ...
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秀吉の側室で豊臣秀頼の母、淀殿(茶々)の墓所がある太融寺@大阪市北区

太融寺(たいゆうじ)には淀殿(茶々)(1569-1615)の墓があります。淀殿の墓は明治時代のはじめまで大阪城の近くの城東区鴫野(しぎの)にありました。しかし。明治10年11月、そこに城東練兵場が造成されるにあたり太融寺に移祀されました。(...
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写真:佐和山山麓の龍潭寺入口に座る石田三成像 @彦根市龍潭寺

彦根龍潭寺の石田三成像は、佐和山城山麓の龍潭寺(りょうたんじ)入口にあり、京都大阪の方角を向いて座っています。石田三成の居城、佐和山城へは上の写真に見える入口から入ります。龍潭寺の堂々とした山門をくぐります。そこからまっすぐの所にある観音堂...
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「三河本多一族」特別展を安城歴史博物館に見に行ってきました。@安城市

葵の紋を本多氏から貰った松平氏。それは噂ではなくて本当でした。特別展「三河本多一族」を安城市歴史博物館まで見に行ってきました。歴史博物館がある安城城址は、本多忠勝のお父さんもお祖父さんも織田との戦いのときに、ここでなくなっているという事実が...
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元禄赤穂事件で命を落とした吉良家の使い手 清水一学の墓が故郷の円融寺にある。@西尾市

歌川国芳 忠臣蔵十一段目 夜討之図 ウィキペディアより元禄赤穂事件(忠臣蔵)で命を落とした吉良家の剣の使い手、清水一学(1703年25歳没)は、そのとき赤穂浪士から主君、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を守り討ち死にした吉良家の...
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若山牧水 像 @新城市 鳳来寺山表参道

鳳来寺山参道の若山牧水像9月17日は若山牧水 1885-1928 歌人。の命日です。存命なら138歳です。鳳来寺山参道の若山牧水像には徳利や酒杯が詰め込まれています。長年にわたる度を超えた飲酒が彼の命を奪いました。しかし悔いは無いような表情...
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東京の三河稲荷神社は、家康の江戸移封の折にどうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。@文京区

三河稲荷神社は縁起の良い神社です。東京の丸ノ内線本郷三丁目駅近くにあります。家康が1590年の江戸移封の折に、どうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。三河一向一揆のときに20歳の家康は豊田市の隣松寺(りんしょうじ)に陣を敷き、目...
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父、松平広忠の廟所に8歳の竹千代(家康)は松を植えた。その木は東に向かって大きく枝を伸ばした。松應寺。@岡崎市

松應寺横丁松平広忠の廟所松應寺に8歳の竹千代(家康)は松の木を植えた。その松は東に向かって枝を伸ばした。徳川家康公 父君松平広忠公御廟所(岡崎市指定文化財)この御廟所は、家康公が父君供養のために創った国内有数の格式と規模を誇る霊廟で、文化財...
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