



護衛艦やはぎが、艦名由来の地、愛知県蒲郡市の蒲郡港に2025/03/15来港し、
翌日の16日に一般公開されました。
やはぎは、長崎の三菱造船所で令和13年6月に起工し、令和6年5月に就役した
最新の護衛艦です。
やはぎは、もがみ型護衛艦の5番艦です。
やはぎの母港は現在京都府の舞鶴港です。
日本海がおもな活動領域です。
それにもかかわらず、護衛艦やはぎは三河の蒲郡に来港してくれました。
3月と言ってもまだ寒い、日本海側の舞鶴港から太平洋側の三河湾の蒲郡港までの
2000㎞を超える距離を航海してはるばるやってきました。
舞鶴港からは、九州回り、津軽海峡回りのいずれの航路ても
2000㎞を超える航海になります。
艦名由来の矢作川が注ぐ三河湾の蒲郡港でないとこの航海の意味がありません。
艦名由来の矢作川(やはぎがわ)が注ぐ三河湾の蒲郡港でないと
せっかくの護衛艦やはぎの、航海の意味が薄れてしまいます。
里帰り航海のように思うからです。
たぶん今日見学に来た方々はそんな想いがあるのではないでしょうか。
伊勢湾の名古屋港ではダメだったのです。
この里帰りによって、護衛艦やはぎは三河の国を背負っている代表選手になりました。
よく三河に来港いただきました。
護衛艦やはぎをひと目見ようと多くの人が見学に駆けつけました。




ここ三河湾に注いでいる矢作川の水を全身にたっぷり浴びたことでしょう。
言ってみれば産湯を使うためにわざわざやってきたわけです。
その上に、艦名が地元の川ということもあり、とても大勢の見学者が列を作っていました。
しかし、ここは世界一のクルマ産業のある三河ですから駐車場に苦労することは全くありません。
やはぎのいるこの埠頭は、輸出用のクルマを自動車専用船に積み込むエリアです。
乗艦持ちの大行列なのに、駐車しているクルマはスカスカに見えます。
「やはぎ」という艦名は西三河を南北に流れる矢作川に由来します。


「やはぎ」という艦名は豊田や岡崎などの西三河を南北に流れる矢作川(やはぎがわ)
に由来します。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征するときに矢作川の竹で矢を作ったという
伝説がある川です。
そのときに日本武尊が素戔嗚尊(すさのうのみこと)を祀った矢作神社には
初代の巡洋艦矢矧(やはぎ)の乗組員が参拝したときに奉納された艦の模型が
現存します。
やはぎの母港は京都府の舞鶴港です。
護衛艦やはぎが蒲郡に来港するためのルートは、
舞鶴からだと津軽海峡回り、九州回りのどちらから回っても
三河湾の蒲郡港までは2000㎞の航海になります。
ただ直線距離では180㎞しか離れていません。
矢作川は三河湾に流れ込んでいるので、こうして着岸している今も
たっぷりと矢作川の水を浴びてもらえているはずです。
それにしても訓練された若い乗組員90人がこの艦で命がけの有事対応することを思うと
身が引き締まります。
リモート操作で発射される5インチ砲と艦内にある短魚雷発射管を見たときには、
やはぎが軍艦なのを実感しました。
主要要目と兵装
蒲郡に来港した護衛艦やはぎの性能
長さ133m 幅16.3m、基準排水量3900トン 馬力70000馬力
速度30ノット以上
ロールスロイス社製ガスタービンエンジン1基
ドイツMAN社製ディーゼルエンジン2基
主要兵装
| 62口径5インチ砲 1基 SeaRAM 1基 遠隔管制機関銃 2基 SSM装置 1基 VDS、TASS 1式 対機雷戦用ソーナー 1式 UUV 1機 USV 1艇 簡易型機雷敷設装置 1式 哨戒ヘリコプター 1機 VLS装置 1式など |
持ち場によっては、航海中に外を見ることはほとんどないと仰っていました。
やはぎと同型艦のもがみ型2番艦「くまの」の艦内が公開されていました。


